倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅

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旧型客車の尾灯円板について


倶楽部メモ(723) 平成25年 4月10日〜 4月14日


投稿者

スハユ

投稿日

2013年 4月10日(水)10時52分42秒

タイトル

旧型客車の尾灯円板

最近の客・貨物列車の最後部車両には赤色で丸い反射板が付けられていますが、
旧型客車の写真を見ていて尾灯(後部標識)を囲む
折畳み式の円板に疑問が出てきました。
添付の写真にスエ30が写っていますが、
当時の私の関心は隣のC58でありスエ30の記憶は全くありません。


1.折畳む前の円板は赤色と思いますが、
  折畳んで半円になった場合は何色になるのでしょうか?

2.円板を折畳むのはどんな場合でしょうか?

3.折畳方法が上方向と下方向の2種類あるようですが、
  使い分け方法はあるのでしょうか?

4.いつ頃までこの円板を使ったのでしょうか?


 客車について詳しくありません。
すみません、どなたかご教授ください お願いします。


写真は美濃太田機関区の救援車スエ30−8で円板は丸いままです。
隣の蒸機は高山機関区から転入直後のC58368です(1969年3月)。




投稿者

スハネ30生

投稿日

2013年 4月11日(木)21時52分3秒

タイトル

RE:旧型客車の尾灯円板

管理人様はじめて投稿させていただく、スハネ30生と申します。
3日程前に偶然このサイトを発見し拝見させていただきましたが、
とくに掲示板には活発な意見交換がなされているようで
大いに興味をそそられた次第です。
最初に簡潔な自己紹介をさせていただきます。
1956年生まれで自宅の前が京成電車の駅であったことから、
物心ついた幼少の頃からの鉄道ファンです。
車両研究(究極の目的は昭和40年代の模型製作)がメインで
対象は国鉄・私鉄問わず何でも好きなのですが、
模型化に最も重要な時代考証の調査を得意としております。
客車は中でも好きなジャンルで過去の出版物
(当サイトでも紹介されておりますが)はほとんど揃えております。
今後、随時投稿させていただく予定ですので、宜しくお願いいたします。
 さてスハユ様から、尾灯円板に関しての質問が出ておりますので、
小生が持ち合わせた知識内で回答したいと思います。
(なおスエ308の写真の尾灯は円板ではありません。
円板を外した跡の形状ですのでお間違えの無いよう)
 当時この円板が設置されていた車両は、
貨車の車掌車(ワフ等の合造車を含む)、
車掌室のある客車(郵便荷物車を含む)
および気動車(特急用キハ81・82を除く)ディーゼル機関車のすべてです。
蒸気機関車と電気機関車では一部の形式に設置されていました。
設置の目的としては列車の進行方向の視認性を高めるためと思われます
(単線区間において効果があったようです・・・
当時から複線化された区間を主に走行していた電車には設置義務なし)
 質問1.円板の裏側の色ですが、車体の塗装色と合わせてあります。
     客車でしたら【ぶどう色2号・もしくは青15号】となります。
 質問2.折り畳む時ですが、列車の最後部にないときは
     原則として折り畳んでいたようです。
     逆に列車を組成したときの最後部には
     必ず赤色円板を表示する規定となっていたようです。
 質問3.折り畳み方向は通常下側にしていたようですが、
     いつ上側にしたのかは不明です。
 質問4.円板の使用された期間ですが。
     新製時(昭和26年)から妻板にテールライトが設けられた
     オハフ60・61、スハフ42が最初です。
     それ以前の客車(オハフ等緩急車でもテールライトが無く)
     列車は運転の都度、
     引っ掛け式の標識灯を尾灯掛けに掛けて走行していたとのこと
     (鉄ピク700号:星晃氏の対談より)
     その後、戦前型でも改造に拠り
     車掌室のある客車すべての形式に設置されました。
     円板が使用されなくなったのは昭和40年です
     (10月ダイヤ改正の前だと思います)
     移行期を写真で判断しますと
     (わかりやすく有名な20系ブルトレを例に挙げます)
     昭和39年10月運転開始の【はくつる】の
     ナハフ20には円板が見られますが、
     翼昭和40年10年の【ゆうづる】では円板がついていません。
     大まかに言うならば昭和30年代までは、
すべて円板付きであったといううことです。
 ここで模型の話題:KATOのNゲージ車両に
20系初期あさかぜ・20系さくらが製品化されています。
時代考証では昭和30年代の編成なのですが、
ナハフとカニに尾灯円板が表現されていません。
これは大きなエラーだと思います(規定違反で本線走行できません)
是非部品追加してやりたいところです。
赤色の円板は目立つこと受け合いです。
最近発売の20系さくら長崎編成
(パンタの無いカニ22が含まれている)の場合は
昭和43年10月改正前を再現しているため尾灯円板は無くて正解です。



倶楽部メモ(726) 平成25年 4月24日〜 4月28日


投稿者

スハユ

投稿日

2013年 4月24日(水)00時28分2秒

タイトル

旧型客車の尾灯円板について2

少し前にスハネ30生様に旧型客車の尾灯円板についてご教示いただきました。

その後、興味が増して鉄道ピクトリアル誌で調べる内に色々分かりましたので
書込みさせていただきます。
旧型客車の尾灯円板が廃止される頃の写真が少ないので他の車両も追加しました。

(撮影年月)(車両形式)(列車名)(円板色) (円板の折畳方向) (掲載号年月)
1961. 1 .8  カニ21  特急あさかぜ  赤      折畳無・折畳無 835号(2010.7)P48
1961. 7.16 キハ58  準急房総    赤      折畳無・折畳無 132号(1962.6)表紙
1961. 9. 1  マニ32  松山駅構内     赤        下・下     アーカイブス10(2006.3)
1962. 3.10 キハ28  準急羽越   クリーム      下・下   132号(1962.6)P9
1962. 4.12 キハ58  準急阿佐   クリーム  折畳無・折畳無 132号(1962.6)P85
1962. 4.12 キハ58  準急南風   クリーム    上・下   132号(1962.6)P85
1962.10. 1 キハ58  急行ひかり   赤    折畳無・折畳無 478号(1987.4)P65
1964. 2.26 オハフ61?蟹田構内      赤    折畳無・下   844号(2011.2)P14
1964. 5. 9  カニ22  特急さくら   赤      左・左   871号(2013.1)P60
1965. 7.18 オハフ61 夏臨かもめ1  赤      下・下   702号(2001.6)P28
1965.11. 5 キハ27  準急     クリーム    下・下   478号(1987.4)P45
1966. 4.10 スハニ32 梅小路構内   赤      下・下   748号(2004.7)P57
1966. 5. 6  キハ28  急行     クリーム    下・下   478号(1987.4)P45
1966.12.30 EF62   中軽井沢構内 ぶどう(車体色)下・下   718号(2002.6)表紙
1967. 1.27  マユ32   大宮構内      赤      下・下   777号(2006.7)P50


・準急南風先頭車の折畳方向が左右で異なる理由は分かりません。
・蟹田構内の最後部車両オハフ61?の表示は、
『停車場間が1閉塞区間である場合は1個以上表示すれば良い』
 との技術基準の解釈によると思われます。
・特急さくらの折畳方向が上下でなくて、
2個ともカニ22に向かって左方向に折畳んであるのは不思議です。
 折畳線が一般的な横方向ではなくて縦になるように取付けてあります。
・詳細を調べていませんが尾灯円板は概ね1966年末には廃止されたようですね。

どなたかフォローいただけませんでしょうか、お願いします。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2013年 4月25日(木)08時30分51秒

タイトル

「ひかり」の尾灯円盤

スポット的になりますが、準急時代のキハ55型の「ひかり」のは上下式でした。
昭和33年8月5日にすれ違った時にスハニ32の窓から撮影しています。
(中津辺り?だったか)




投稿者

スハユ

投稿日

2013年 4月25日(木)13時47分20秒

タイトル

Re:「ひかり」の尾灯円板

マロネロ38様フォローありがとうございます。

客車は分かりやすいですが、
気動車の写真に考えていたよりも最後部車両のものが多くて惑わされました。
私は「気動車写真は先頭車から撮影するのが一般的」
と勝手に判断し実行していましたので。
モノクロ写真が多く尾灯の点灯状況が確認しにくいこともありました。

色々考え合わせると気動車の先頭車は『上下式』で、
最後部車は『2個とも折畳無し』か
『折畳と上下式の組み合わせ』表示だったようですね。
上下に折り曲げた場合の色は『車体色』を、
折畳まない場合は『赤色』を表示していたのですね。

マロネロ38様が昭和33年に撮影された『準急ひかり』は
先頭車のため上下表示であり、
ピクトリアル誌478号に掲載されている奈良崎博保氏が昭和37年に撮影された
『急行ひかり』の折畳無しの表示は最後部車だからですね。

ちなみにご存知と思いますが、ピクトリアル誌478号によると『ひかり』は
昭和33年4月25日に博多〜別府間の臨時急行として誕生。
急行料金が準急料金よりも割高のため利用客が低迷し
数ヶ月後の8月1日に博多・門司港〜熊本間『準急』に格下げ、
昭和37年に運転区間を見直し『急行』に帰り咲いた列車・・とあります。
マロネロ38様が撮影された『ひかり』は準急に格下げ直後だったようです。



写真は中央西線中津川〜塩尻間の電化開業(昭和48年7月10日)も近いある日、
落合川駅付近で偶然出会った電化開業試験列車です。
DD51+EF64+関係職員がたくさん乗っている
無蓋貨車+建築限界測定車の編成です。
初めて撮影できてうれしかったですが、
DD51ではなくてD51に牽引して欲しかったですね。




投稿者

スハネ30生

投稿日

2013年 4月27日(土)12時08分20秒

タイトル

尾灯円板について

尾灯円板は国鉄では1965年以降使用されなくなりましたが、
一部の私鉄では後年まで残っていた例を写真で紹介します。

@東武鉄道の貨車:車掌車ヨ101形式です。
東武の場合、円板はいつも開いた状態でした。

1981年東武野田線野田市駅にて:ヨ134



A南海電鉄の気動車:キハ5550形式です。
紀勢本線乗り入れ用でとして国鉄キハ55を両運転台形にしたタイプで、
窓の保護棒、ドア横の手摺り等のパーツが異なります。
尾灯円板は国鉄線内で1965年まで使用されていましたが、
その後も撤去されることなく(折り畳んだ状態で)最後まで残っていました。

1983年紀勢本線新宮駅にて:キハ5551




投稿者

スハユ

投稿日

2013年 4月27日(土)18時11分54秒

タイトル

尾灯円板について:お礼

スハネ30生様 貴重なご教示ありがとうございます。

@東武の車掌車ヨ134・・・・車掌室が国鉄型ヨの半分くらいで窮屈そうですが、
               手すりがはりめぐされ安全が図られていますね。
               HO模型で作りたいです。
A南海の気動車キハ5551・・国鉄型と大分違いますね。
               車体側面に社紋と『南海?』の文字が見えます。
               運転席窓下に『愛称名板?』入れと、
               助手席側面にタブレットキャッチャー取付痕
               も見えます。

私はどちらも実車を見たことがなく大変興味深く拝見しました。
東武のヨが国鉄本線を走行したかどうか知りませんが、
南海のキハ55は国鉄が尾灯表示しなくなっても
20年近く遅くまで国鉄線上を尾灯表示して運転していたのですか。
規定・規則による全国一斉実施に厳格な国鉄が
許可(認可?)していたとは驚きです。
大変参考になります。ありがとうございました。




投稿者

クモイ103

投稿日

2013年 4月27日(土)20時23分27秒

タイトル

尾灯円板 ちょっと補足

スハネ30様、スハユ様、
反応が遅くなりましたが尾灯円板についての話題、興味深く拝読しております。
私も「だいたい昭和40年頃まで使用された」
程度の知見しか持ち合わせていませんでしたので、
以前の書き込みの昭和40年というスハネ30様のお言葉には
ほっと安心しております。

さてスハユ様の書き込みで、

> 東武のヨが国鉄本線を走行したかどうか知りませんが、
> 南海のキハ55は国鉄が尾灯表示しなくなっても
> 20年近く遅くまで国鉄線上を尾灯表示して運転していたのですか。
> 規定・規則による全国一斉実施に厳格な国鉄が
> 許可(認可?)していたとは驚きです。

東武のヨは私も幼少時に実見していますが、
おそらく自社線内専用だった様に思います。
それと、国鉄の規程類で装備が定められたものが付いていなければ
乗り入れは許可されなかったでしょうけれど、
余計なものがついていても明らかな規程違反や運転上の支障にならない限り
お咎めにはならなかったろうと思います。
だいたい車体の付属品で使用しなくなったものが
そのまま付けっぱなしになっている事例は、
国鉄自身もいろいろやっていますから。
また規則の全国一斉実施に厳格とは言っても、
この掲示板で過去に話題になったように塗色規程は違反者続出(!)ですし、
車両称号規程ですら厳密には完全に徹底されたわけではないなど、
意外とユルい面もあるのが巨大組織国鉄の面白さかと思います。




投稿者

クモイ103

投稿日

2013年 4月27日(土)20時39分31秒

タイトル

【追記】 尾灯円板 ちょっと補足

一つ書き忘れました。
スハユ様の挙げられたピクトリアル誌の掲載写真一覧の最後の行:
1967.1.27   マユ32 大宮構内    赤   下・下   777号(2006.7)P50
ですが、円板が左右とも下に折り畳まれていることから、
色はおそらく赤でなく車体色ではないでしょうか。
撮影時期が昭和42年ですから、
これを見ても40年頃には使用されなくなったことの状況証拠と言えそうですね。




投稿者

スハユ

投稿日

2013年 4月27日(土)21時45分7秒

タイトル

Re:尾灯円板 ちょっと補足

クモイ103様 スハユです。
フォローありがとうございました。

以前私が勤めた会社では規定類・事務処理要領などで細かく規定され、
それに基づく処理を求められました。
そのため細かく規定された国鉄の規定類を見ても
『同じだな』と何の疑問も持ちませんでした。

ですが今回のようなユルいケースが多々あったとは!!
15秒単位で列車を、10秒単位で電車を正確に運行していた
同じ国鉄とは信じられませんね。

ありがとうございました。




投稿者

スハユ

投稿日

2013年 4月27日(土)22時27分18秒

タイトル

『追記』尾灯円板ちょっと補足:お礼と訂正

クモイ103様ありがとうございます。

マロネロ38様へ気動車準急『ひかり』の
尾灯円板について書き込みしましたように、
小さなモノクロ写真が多く車体色か赤色か判別が難しいです。
客車は特に分かりにくいので、比較的分かりやすい気動車も調べました。

マユ32はご教示のとおり「車体色の可能性が高い」と私も思い、
書き込みでは尾灯表示を最後に確認できた「1966年末」には
使用しなくなったのではないか・・としております。
マユ32の項は削除するつもりで忘れました。

ご覧いただいた皆様すみません。



倶楽部メモ(727) 平成25年 4月28日〜 5月 5日


投稿者

クモイ103

投稿日

2013年 4月28日(日)10時31分1秒

タイトル

さらに尾灯円板

スハユ様

国鉄の「ユルい」面については他にもいろいろ触れる機会があるかもしれません。
とりわけ塗色規程については私の得意分野?ですので、
話題が出れば食いつきますよ(笑)。

ただ南海キハの尾灯円板については、
「ユルい」という話とは別だったと思います。
昭和40年(?)に尾灯円板の使用が停止された際のことを想像すると、
国鉄から南海に対して「こんどから円板表示を不要とする」
という通知があったとしても、
「円板を撤去しなさい」なんてことは余計なお世話で、
そこまでは言わなかったでしょう。
南海としては撤去にも手間が掛かりますから、
せいぜい「壊れても直さなくていいんだ」
くらいの認識だったのではないでしょうか。
一方国鉄の部内では、工作局あたりから工場などの現場サイドへ
「現車が入場の都度外しなさい」
といった指示が出たのではないかと想像できます。
それで数年後には国鉄車からすっかり姿を消した円板が、
南海車には残っているという珍現象が発生したと思われます。

****************

そういえば南海のキハを写した覚えがあるので写真を捜索したら、
御坊駅で紀州鉄道のキハ603と並んだ場面が出てきました。
キハ603は大分交通耶馬渓線から来たそうですが、
よく見るとこれにも尾灯円板がついています。
御坊駅でのスナップは遠いので、
今は廃止された終点日高川で撮ったアップも添付します。
この車が国鉄線上を走ったことがあるのか存じませんが、
当時の地方私鉄ではいろいろな面で国鉄に準じた規準を
運用していたかもしれません。
撮影日はいずれも1983年3月14日です。

最後の写真は、現在間近に観察することの出来る尾灯円板です。
2009年8月14日鉄博にてマイテ39 11。




投稿者

スハユ

投稿日

2013年 4月28日(日)14時42分11秒

タイトル

Re:さらに尾灯円板

クモイ103様
ありがとうございます。そうだったかも分かりませんね。

ED76109様宛に昭和44年3月時点での
中央西線の客車暖房について書き込みさせていただきました。
・・対向ホームの列車はEF64+暖房車による蒸気暖房、
私たちが乗車した列車はEF64単独の電気暖房であり
暖房方法が異なっていたが理由は不明・・と。

不経済なことだと思っていましたが、
その後に調べてみると瑞浪〜中津川間の電化開業は昭和43年8月16日であり
私たちが乗車したのはその7ヶ月後だったのです。
大量の客車への電気暖房装置の付加工事が電化開業に間に合わず、
電気暖房列車と蒸気暖房列車に分けて運用したのではないか。
対向列車は蒸気暖房列車ですがEF64は蒸気暖房を積んでいないので
暖房車を連結していたのではないか。
全ての切替に1年くらいの猶予(移行期間)を設けていたのではないか・・
とも考えられます。

国鉄の工場・客車区でこんな状態であり、
通常業務で手いっぱいの私鉄では「安全のための設備新設」は即実施し、
安全と無関係な「不要設備の撤去」は後回し?にしていたかも分かりませんね。

私としては紀州鉄道よりも御坊臨港鉄道の社名が好きです。
貴重な写真ありがとうございました。




投稿者

仙コリ(管理人)

投稿日

2013年 5月 4日(土)19時33分0秒

タイトル

尾灯円板の写っている写真

マロネロ38様から尾灯円板の写っている写真を送っていただきましたので
掲載させていただきます。



1枚目は昭和33年6月に広島駅で撮影された「さちかぜ」のナハフ11です。
尾灯円板は「赤」で上下式



2枚目は昭和33年8月5日に撮影された907レ準急「ひかり」を
準急506レから撮影されたそうです。
撮影場所は日豊本線宇島駅と思われます。
こちらの尾灯円板は上下式で、前部なので車体色です。

マロネロ38様、貴重な写真を提供していただき、ありがとうございました。




投稿者

スハユ

投稿日

2013年 5月 5日(日)06時04分27秒

タイトル

尾灯円板の写っている写真:お礼

マロネロ38様 貴重なお写真ありがとうございました。
管理人様公開ありがとうございます。

10系座席車はHOゲージの模型を持っていますのでうれしくて、
さっそくピクトリアル誌「客車の記録」で調べてみました。
ナハフ11は昭和32年5月に新製配置を開始したばかりのピカピカの新車で、
「さちかぜ」もこの後すぐに「平和」に改称し、
数年後には20系「さくら」に変身した珍しい列車ですね。

気動車準急「ひかり」に使われたと思われるキハ55系は、
昭和31年9月から全国へ新製配置が始まったばかりですので
これも新車でしょうか。
私の地元の高山線でも昭和33年3月1日に準急「ひだ」が
客車からキハ55系に置換わっています。
以前に書き込みましたが、マロネロ38様撮影の「ひかり」の写真のように
『気動車写真は前方から撮影するのがセオリー』と勝手に思っていました。
ところが私が調べた写真には尾灯円板付き気動車の後追いや
最後部を撮ったものが案外多く、
当然円板は折畳まずに円形表示していたため惑わされました。
私の自分勝手で単純な思い込みが間違いの始まりでした。



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